Akihito Izuhara Exhibition
五人のカレン Fives stories of KAREN
2003年6月9日~15日 text + video Installation G ART gallery (銀座)





溝上幾久子との共同企画展。 会場では、並列される五つのキーワード、Water、Hand、Fire、Gun、Forkからそれぞれ、文章と映像により五つの物語が語られている。しかし文章と映像は異なる人物(泉原昭人、溝上幾久子)によって作成されており、細部において必ずしも一致しているものではない。文章から作られるイメージ、映像から作られる言葉、鑑賞者はその間に生まれる微かなズレを感じながら、物語を受容していくための装置。
(小型液晶モニター5基、 テキスト、本5冊)
心臓噛 Shinzo-kami
2002年6月10日~16日 video Installation G ART gallery (銀座)





中央には、プロジェクターで自主制作の短編映画「心臓噛み」が上映されている。周囲の壁には小型液晶モニターで「心臓噛み」のシーンとカットの断片が再生されており、鑑賞者は歩いて(または座って)、それらの映像を自由に見ることができる。映画の進行に対し、断片の映像は、時間のズレ、人物のズレ(入れ替わり)を鑑賞者に見せることで、断片と全体が等価する空間を生成している。モンタージュにより意味の読みとりを訓練された私たちにとって、反モンタージュの可能性を探るための実験装置。
(壁面プロジェクター投影、小型液晶モニター10基)
「1」 one
2001年6月11日~17日 video Installation G ART gallery (銀座)





物語とは、”関連によって結びつくイメージが複数個つながって作られるものである”(G・ベイトソン)と仮定するならば、既存の断片を恣意的に並列した場でも”イメージの関連”は起こり得るものなのか。そこから生まれる”物語”があるとすれば、それはどのようにして意味を生成させるのか。それが鑑賞者個人の記憶と結びつく可能性があるとすれば、そこで発生する作用とはいかなるものなのか。小型モニターを2組、また3組で設置、鑑賞者が異なる映像を同時に見るための装置。(壁面に小型液晶モニター11基を設置)
Thouthand Dogs
1990年5月28日~6月2日 Installation Gallery+1 (銀座)
私たちの記憶は常に「物語」として記録されおり、そのイメージの関連はいかにし て行われていくのか、そこから読み取れる”意味”とはいかなるものなのか。 西洋文化の文脈上においてイメージの”関連性”について問うための作品。






水の中の祭祀
1985年11月11日~16日 Installation Gallery PARERGON Ⅱ (神田)




泉原昭人、小久泰伸、溝上幾久子の三人によるコラボレーション作品展。
わたしは河原の石を画廊内へ多数持ち込み、水を満たした1.5X1.5mの池と共に設置する事で、屋内に”外”を再現し、内と外の境界をいかに異化できるかを考察するためのインスタレーションを作成。
当時のわたしは、映画「ノスタルジア」に触発されており、過去と未来、虚構と現実、主体と客体等様々な境界の曖昧さについて探究しようとしていた。この展示では現実の空間に作用する方法を試みている。